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2017-03-24

Essays #13 / 破壊の生産

essay_13

Text written by Komatsu Hiroko

わたしの作品を見て廃墟や廃材を撮影対象としていると考える人が多いようです。実際、廃墟や廃材も対象としていますが、むしろ建築現場や資材のほうが比率としては多いのです。第二次産業である製造業や建設業の生産・加工の現場が廃墟や廃材に見えるということは、本来は筐体やパッケージによって隠蔽されている生産様式と破壊様式(たんに消費様式にとどまらない)が写真によって同一視されたとも考えられます。
ここで事故(ACCIDENT)は相対的で偶発的であり、実体(SUBSTANCE)は絶対的で必然的だという哲学上の語義について考えてみます。事故とはラテン語の「accidens」から発生したという語で機械・システム・製品などに思いかけずに起こることを指しています。予め想定していない不調・破壊を意味する語である事故、つまり「一過性の不調」は機械・システム・製品などの完成時にはプログラムされていなかったということになってしまいます。
たとえば「実体」であるわたしは生まれたときから老化と死という不治の病を患っています。「実体」は機械であれシステムであれ製品であれ生物であれ経年劣化と機能停止から逃れることはできません。つまり何らかの「実体」の生産が「事故」の生産でもあるとすれば、故障や不調とは生産の乱調というより、特定の不調の生産、さらには部分的であれ全体的であれ破壊の生産ということになります。
第二次産業である製造業や建設業の生産・加工の現場では「実体」の構造が剥き出しになっているため、写真に撮ることで生産様式と破壊様式を同一視するというより、むしろ生産様式=破壊様式であり生産が破壊を内包していることを可視化することが可能な場所だと思っています。