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2017-03-31

Essays #14 / しかた・わざ

essay_14

Text written by Komatsu Hiroko

わたしは写真で作品制作を始めるずいぶん前に印刷所で働いていたことがあります。DTP(Desktop publishing)全盛の今日では考えられないかもしれませんが、当時は写真植字という写真植字機を用いて文字などを印画紙やフィルムに印字したものをカッターで切り、ペーパーセメントと呼ばれるのりなどで台紙に貼ることで版下などを作っていました。版下はトレーシングペーパーで包まれて、その上に印刷時の指示などが書き込まれていました。版下からは写真製版という写真技術を用いて印刷用の版がつくられ印刷物が印刷されていました。その当時わたしが日常的に接していた写真技術とは印刷にまつわるものでした。
展示を始めて少し経った頃から会場に自身で書いた散文を配置する方法をとるようになりました。散文をA0サイズのトレーシングペーパーに出力して会場で写真の上に重ねて展示していたのは印刷所での経験が影響していると思いますが、散文はインスタレーションの一部を成しているので、内容もさることながら視覚を重視していました。
わたしは日常的に日本語を話しているので当然のように日本語で散文を書いていました。漢字は文字自体で意味を持っている表意文字であり、現在確認されている言語として使用されている文字のなかで恐らくは唯一の表意文字であるという説があります。展覧会は日本で行っていましたので日本語を解する人が見ているという想定で、散文は展示会場において読まれても読まれなくても良いと考えていました。漢字とひらがなの配分はとても重要な要素で、ときどき強い言葉を漢字で織りまぜることで鑑賞者が視覚情報としてイメージの広がりや混乱を得ることを期待していましたが、あるときこれは鑑賞者を日本語を解する者に限定することになると気づきました。
概念を他者に伝えるためには何らかの記号に移し変える記号化(symbolization)が必要であり、最も多く用いられるものが概念を言語に移し変える言語化(verbalization)であるといわれています。つまり概念を他者に伝えるための記号化は必ずしも言語化である必要はないということです。インスタレーション自体が記号化であると考えれば鑑賞者を日本語を解する者に限定する散文をインスタレーションの要素からなくすことで外部に開いていくことになるはずです。
印刷は概念を他者に広く伝えていくために複製をつくり流通させることにもつながると思いますが時代によって方法が異なります。石版や木版が最新の印刷方法だった時代もありましたし、わたしが仕事で覚えた方法も現在はほぼ使われていません。科学の原理を産業・医療・事務などの活動に役立ててものを生産したり組織したりする「しかた・わざ」が技術であり、科学の原理が進歩すれば「しかた・わざ」は変わっていきます。同様に制作活動も何らかの「気づき」から「しかた・わざ」は変わっていくものですが、基となる概念自体に変わりはありません。