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2017-04-29

Essays #17 / 待つこと

essay_17

Text written by Komatsu Hiroko

2006年頃から写真を学ぶにあたり大学・専門学校・ワークショップなど数ある選択肢のうちから金村修ワークショップを選択し写真家を目指し始めました。
1995年に川村記念美術館でマーク・ロスコ展を見ました。それからとても長い時間が経っているので記憶が曖昧ですが、初期から晩年まで多くの作品を見ることで、本来であれば時間をかけて行われた具象から抽象表現への移行を、わたしが美術館に滞在したほんの短い時間に体験することができて、非常に強い印象を受けた記憶があります。それ以降も美術展や写真展を見てはいましたが、そこまで強い印象を受ける展示には出会いませんでした。
1999年に川崎市市民ミュージアムで金村修の「Black Parachute Ears 1991-1999」を見ました。『Mole Unit No.4 Crash landing』を所有しており好きな写真家であったので気軽に展覧会場を訪れたのですが、再び強い印象を受けました。レンズの描写力をもって示された絵画にはない極端な具象を、大量に展示会場に持ち込むことで抽象化してしまうことが可能なのかと驚かされました。
マーク・ロスコの絵画は近寄ることで、筆の方向、強さなどの痕跡が複雑に配置されていることが見て取れ、キャンバスのもつ質感を感じることができます。金村修の写真は近寄ることで被写体の細部である電線、看板、建物、植物、人などが複雑に配置されていることが見て取れ、バライタ印画紙のもつ質感を感じることができます。マーク・ロスコの絵画は離れることで赤から赤褐色の巨大な面となり、金村修の写真は離れることで大全(約50cm x 60cm)の印画紙が隙間なく貼られているため灰色から黒の巨大な面となります。さらには会場を壁面としてではなく部屋として構成しているところも共通していると思いました。
それから再び時間が経って自分で何かをつくり出すことをしたいと思ったときに、明確にではありませんが写真の具象性=抽象性についての考えと、この二つの展覧会の記憶が結びついたのだと思います。外部からの刺激や内部からの発想は、無理に固定することなく常に自分の回りを泳がせておいて、発酵して何かに変質するまで待つことが大事なのだと思っています。