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2017-07-22

Essays #23 / 劣化

essay_23

Text written by Komatsu Hiroko

ものは有機・無機に関わらず、つくり出された瞬間から劣化を開始し終焉に向かいます。身のまわりを眺めてみても、家・家具・食器・電化製品・衣類・食品・文具・書籍など、または技術やシステムなど、さらに自分自身の肉体も終焉に向かっています。「永久」とは、いつまでも限りなく続くこと。また、そのさま。であって、いま挙げたものに「永久」を求めることはできません。劣化を遅らせることは可能かもしれませんが、「永久」につくり出された瞬間の状態を維持することは不可能です。例えばわたしの作品についても、他の全てのものと同様に「永久」保存は不可能であるといえます。
写真は工業製品を支持体としているため、その時代の技術と深い関係性をもたざるを得ません。わたしの使っているカメラは1964年製で現在は生産されていませんし、引伸し機も2006年に出荷を終了し現在は生産されていません。暗室で使用する機材である引伸しレンズ、タイマー、イーゼルマスク、さらにバットなどの消耗品に至るまで生産終了が相次ぎ入手困難な状態です。感材であるモノクロ・フィルムや印画紙も現在では選択肢がほとんどないうえに価格が高騰している状態です。モノクロ・フィルムを使用する写真の技術は終焉を迎えつつあるのでしょうか。
わたしにとって今現在モノクロ・フィルムで作品制作することは、困難であっても入手は可能なのですから決して悲観的な事柄ではないと思っています。新しい技術やシステムが誕生し古い技術やシステムに取って代わるのは当然のことです。その新しい技術やシステムもつくり出された瞬間から、さらに新しい技術やシステムに取って代わられる未来を内包しています。
そして終焉に向かう技術で制作された作品も、制作者であるわたしも徐々に劣化し終焉に向かっています。この時間による変化については本当の終焉を迎えるまで、常に注目しておくべき重要でそして興味深い事柄であります。