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2016-12-31

Essays #4 / 言語化の必然

essay_4

Text written by Komatsu Hiroko

ある事柄(考えや出来事、物体など何についてであっても)を共有するためには言語化をする必要があります。言語化にあたってはその人が所属する共同体において既に共有されている常識や道徳、文化などが影響しそこからは自由になることは出来ません。
最も根源的なタブーである思われる「児童性虐待」について考えるとき「児童性虐待」を行った者は道徳に鑑みて自分の行動を正当化しようとします。「児童性虐待者」は「被児童性虐待者」に対して行動を言語によって正当化し、「被児童性虐待者」にも非があるという考えを強要し、秘密という形で事柄を共有することを強います。また自分の行動により拘束されている「児童性虐待者」は自分の行動を言語化し、自分の行動の正当化や非の所在の転換を試みますが、その対象(警察、弁護士、カウンセラー、身近な人々、自分自身など)によって、またその対象の持っている常識や道徳感などによって、その対象が理解出来る現実を描き出そうとします。例として用いた「児童性虐待」を肯定する人が皆無であろうことから、「児童性虐待」によって描き出される現実が複雑であったり多様化することはない(それでも充分に多様ではありますが)と予想出来ます。
しかし作品制作の「意図」や「動機」などという事柄となると、既に共有されている常識や道徳、文化などの影響があまりにも多様であり、言語化し伝える対象も多様であるため、制作者が描き出す現実には振り幅が生じます。現実は既にそこに在るのではなく言語によって生み出されるのですが、制作者にとっての事柄(考えや出来事、物体など何についてであっても)も他者と共有するためには言語化する必要があります。しかし制作に対する衝動は言語によって生み出される現実とは別に既にそこに在ります。