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2016-03-09

Solo Exhibition 2014 / 二重拘束

「二重拘束」小松浩子:ギャラリーQ(東京)
NOV 17 – NOV 22, 2014

“Double Constraint” Komatsu Hiroko / Gallery Q, Tokyo

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東京、銀座にあるギャラリーQは入口から奥に向かって細長く、天井が高いスペースとなっています。「二重拘束(Double Constraint)」の展示では、床と高さ約3メートルの天井付近まで8×10inchの印画紙を敷き詰め、壁の一方に額装された20×24inchの印画紙を等間隔に配置しています。20×24inchの印画紙はロール印画紙をプリントする時にとったテストピースで、巨大なロールの写真をランダムに切り取ったものです。床から約2メートルの高さで横にワイヤーが張られ幅108cmのロール紙を吊り下げていますが、細長い空間であるため通路となるスペースが非常に狭く、来場者たちは限られたロール紙の隙間から展示を見ることになります。

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会場の一番奥は細長いながらも僅かに広くなっていて古墳など古い墓所を連想させます。このスペースにはロール印画紙とステートメントを出力したA0サイズのトレーシングペーパーを床に投げ出すように展示しました。

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「二重拘束(Double Constraint)」では、8×10inch:約1000枚、20×24inch:7枚、ロール紙(幅108mm):約30メートルのバライタ印画紙で構成しています。

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ステートメント/Statement

「真実」は爆弾によって
 かたをつける問題である。

精神の正常な調和がとれない、神霊•もののけに取りつかれ正常な行動がとれない人の状態を指して「狂う」といい、“時計が狂う”など物事•機械の働きや状態が正常でなくなる場合にも使われる。「正常」とは正しいとされる状態を指し、正しいとされる状態とは形や向きがまっすぐであり、事実に照らし正確で、道徳•法律•作法などにかない規範や規準に対して乱れたところがない事をいう。そのため「正常」の基準は時代・社会等により常に変わり得る可能性がある。1970年の西独における「社会主義患者集団(SPK)」は人間の精神疾患を資本制による階級社会の諸条件から考察する。階級社会は搾取する者・される者によって構成されており、被搾取者は直接的な物質的窮乏に短絡せず、大衆的規模で生産される心理的精神的貧困として商品と共に市場に現象するという。一人の人間の完結した全体性を資本制がもたらした工業化により細分化し商品化する労働過程が労働者を物に変え、労働者を物と捉える事が資本制生産諸関係の成立と存続のための前提であり同時にそれが成立し存続するための結果でもある。資本制生産諸関係の成立と存続により精神が受ける損傷と損傷に対する抵抗が現代の「精神疾患」であり資本制下の人間にとって唯一可能な生存形態である。社会より「診断・治療の権限」を便宜的に付与されてはいるが分業の一端を担う医療労働者である精神科医もまた資本制下で生存している以上「精神疾患」を患っているため、労働者の精神を完全に治癒する事は不可能であり損傷と抵抗により労働不能に陥った精神を労働可能の範疇まで補修する事しか出来ない。用語の非妥協的な意味に於いて人間精神の「治癒」を目指そうとすれば資本制生産諸関係の本源を襲撃し資本制の外に出ざるを得ない。資本制の所有関係には生産手段の私有があるため私有された生産手段を共同体に還元し生産様式と所有関係の総体の「社会化」を目指すSPKが行き着く先には革命しかあり得ず革命には武器が必要とされる。SPKはRAFのために爆弾作りの教室を設けた後ストックホルム大使館で捕えられ爆死して果てたとの説もある。

革命が現実味を失っても資本制生産諸関係が引き起こした「精神疾患」は現存するが、資本制社会の巧みな掏り替えにより潜在し認識させられない。「精神疾患」の潜在により全ての人が「正常」であり「ふつう」である事が要求される資本制社会から承認される必要がある。常に社会的承認を必要とする親の子どもへの重圧の高まりにより世界的に子どもの親殺しが増加している。親の視点に於ける子どもは一人の人間の完結した全体性ではなく、生き甲斐・果たせぬ夢の肩代わり・連れて歩きたい人形・暴力の対象など親自身の人生に組み込まれ細分化された存在であり期待に添わなければ「失敗作」とされる。重圧とは「愛情という支配」であり「期待」や「理解」で美化され親の望む「いい子」に仕立てるために行使される。親から子どもに要求される「ふつう」「いい子」の基準は常に変容する資本制社会の価値観で、家庭から始まり学校・企業・国家に於ける普遍性を持たない同一価値観の支配に行き着く。資本制社会の価値観から「失敗作」と査定された子どもは家庭・学校・企業・国家が全て同じ構造・価値基準から成るため存在を否定され逃げ場が無い。親から子どもへと世代を越えて連鎖する「愛情という支配」は親殺しによって完結し、親を殺した子どもは「正常」から「異常」へと移行する。芸術は瞬間・行為・意識に於ける直感であるとされ資本制による階級社会の諸条件から離脱しており資本制社会からの承認を必要としない。芸術家が直感から発生する衝動を資本制社会の価値観で抑制出来ないように殺人者も衝動を抑制する事が出来ない。資本制社会からの承認が無くとも直感として明確な場合に於いて殺人は自身の存在の肯定であるため高次の殺人は高次の芸術たり得ると考えられるが、現社会に於いては「異常」に分類される。「正常」とは普遍ではなく時代や社会により変化するため例え同じ言葉・行為でも僅かな位置・時間・方向の転換で「異常」から「正常」へと常に変わり得る。

搬入/Install

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