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2016-05-28

Quotation #16 / 想像力の犠牲者

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アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(巌谷國士訳、岩波文庫、1992)より引用
Text quoted from “Manifeste du surréalisme/Poisson soluble” by André Breton

自由というただひとつの言葉だけが、いまも私をふるいたたせるすべてである。思うにこの言葉こそ、古くからの人間の熱狂をいつまでも持続させるにふさわしいものなのだ。それはおそらく私のただひとつの正当な渇望にこたえてくれる。私たちのうけついでいる多くの災厄にまじって、精神の最大の自由がいまなおのこされているということを、しかと再認識しなければならない。それをむやみに悪用しないことが、私たちの役目である。想像力を隷従に追い込むことは、たとえ大まかに幸福などとよばれているものがかかわっているばあいでも、自分の奥底に見いだされる至高の正義のすべてから目をそらすことに等しい。想像力こそが、ありうることを私に教え、またそれさえあれば、おそろしい禁令をすこしでもとりのぞくのにじゅうぶんだ。そして、まちがえる(これ以上まちがえることができるかのようだが)心配もなしに、私が想像力に身をゆだねるのにじゅうぶんだ。想像力はどこからわるくなりはじめるのか、精神の安全はどこで断たれるのか?精神にとって、あやまちをおかすことの可能性は、むしろ全の偶然性なのではあるまいか?
のこるは狂気である。「とじこめられる狂気」とは、うまいことをいったものだ。とじこめられていようといまいと……。事実、だれもが知っているように、狂人たちが監禁されるのは法律上とがめられるべき二、三の行為のせいにすぎず、そういう行為さえおかさなければ、彼らの自由は(外に見える自由は)危険にさらされるはずもないだろう。彼らがあるていど自分の想像力の犠牲者であるということは、私としても認める用意がある。つまり、想像力が彼らを違犯へとかりたてて、そこをはずれれば人類もねらいうちにあうと感じるようなある種の規則をまもらなくさせてしまう、という意味において。この点はどんな人間でも、にがい体験から思い知っている。ところが、私たちが彼らにあびせる批判に対して、そればかりか彼ら自身に課せられるさまざまな矯正措置に対してさえ、狂人たちの見せつける深遠な超脱的態度からしても、彼らがじつは自分の想像力から大きな慰めをくみとっており、しかも自分の錯乱を満喫しているので、それが自分にとってしか価値がないという事実にもじゅうぶん耐えていられるのだ、ということも推測される。そして事実、幻覚とか、幻想、等々といったものは、とるにたりない愉しみの源泉どころではない。