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2016-06-11

Quotation #18 / 孤独な行為

the-brand-of-prevention_20160611

石原吉郎『海を流れる河』(花神社、1974)より引用

日常とは、日常の「異常さ」の謂である。日常をささえるとは、いわばこの異常さへ自覚的にかかわって行くことにほかならない。それはしかし、ため息のでるような、忍耐づよい、孤独な行為の積みかさねである。だが、生きる側へ向く以上、このような努力しか残されていないのである。しかも、その努力へかかわって行く私たち自身が、すでにのがれがたく日常そのものであり、したがってそれは闘争というような救いある過程ではない。自分自身の腐食と溶解の過程を、どれだけ先へ引きのばせるかという、さいごにひとつだけのこされた努力なのである。
ではどこに希望があるかと、人は問うだろう。それにたいして、ほとんど私は答えるすべを知らない。ただ、私にかろうじて、しかも自己のことばの責任においていえることは、逃げるな、負えるものはすべて負ってその位置へうずくまれということである。なまなかな未来を口にしないこと。そのことを、あらためて自己の決意とするということである。