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2016-07-30

Quotation #25 / 制約と自由

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デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション 即興演奏の彼方へ』(竹田賢一+木幡和枝+斉藤栄一訳、工作舎、1981)より引用
Text quoted from “INPROVISATION” by Derek Bailey

イディオマティック・インプロヴィゼーションと、フリー・インプロヴィゼーションとが根本的に相違する重要な領域がある。
正統性に対する考慮がそれだ。イディオマティック・インプロヴィゼーションをするほとんどの人にとって、そのイディオムに照らして自分の演奏が正統的であるかどうかは最重要の問題であり、第一の関心がそこにある。ところが、ここでもっとも重要だった努力の目的が、フリー・インプロヴァイザーにはないのだ。自己同定しうるスタイル上の伝統がいっさいないのだから。だが、自分のやることが自分の仕事としての正統性を発揮し、維持する可能性、これだけはある。明確に他と区別される個人としての自己同一性を発見し、それをもとに活動するのだ。これによってその人独自の正統性が生じてくる。だが、これよりもっと重要で、普遍的に受容されている目標があることを忘れてはならない。
この曲とあの曲はうまく合っているとか、展開、全体の構成、均質性などといった作曲の観点から評価される音楽、つまり、ぜんまい仕掛けのようにして音楽をはかるあの傑作という観念は、フリー・インプロヴィゼーションにはまったくといってよいほどそぐわない。演奏されたものを検証してみて、それがなんらかの意味で優れた音楽としてみなされることがフリー・インプロヴィゼーションの主要目的ではない。それも考慮のひとつではあるが、もっと重要な目標は、すべての演奏者が平等に、不可欠の一部として、音楽創造行為に関与しているといったレヴェルまでインプロヴィゼーションを押しすすめる、高めることである。この体験が実現されれば、それはかならず解放として感じられる。