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2016-08-20

Quotation #28 / 悪魔に委ねよ

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大和屋竺『悪魔に委ねよ 大和屋竺映画論集』(ワイズ出版、1994)より引用

儒教社会の視野からロストジェネレーションを見ると、たしかに人倫を外れた、驚くべきものはそちこちにうごめいて見える。しかし、それは、それじたいの力によって全世界をゆるがし、このフレームを破砕してなおも見知らぬ荒野へ転がり出してゆこうとする、あの悪魔つきのパワーを秘めていると云えるだろうか?
核武装した中国大陸を前にして、台湾の庶民の不安は極限に迄高まっている。
台湾を独立させようという政治的主張に、僕も心情的には同調する。しかし、あのモンスターは香港を併呑し、台湾をも吞みこもうとするだろう。その時のその頂点に立つのは、偉大な老人、徳を修めた専制者にきまっている。このような近未来に対して、芸術家はただ、絶望のみによることは許されないはずだ。
セルビー・ジュニアの『ブルックリン最終出口』を読んだ時、崩壊する都市のゴミくずみたいな人間たちも、この作家にかかると、こんなにも美しく輝くものかと感心した。
そのあと、この小説は映画化されたらしいが、僕は見に行く気がしなかった。ハリウッド周辺の映画人たちや社会派、良心的な告発者たちの手になる『最終出口』など、見たくもない、それはかならず、センチメンタルに歌われる歌にきまっているのだ。
アメリカ在住の異邦人、たとえばジム・ジャームッシュのような、砂を噛むような疎外感を描く映画作家でさえも、あの愚かしいおカマ、トゥラララの雄々しい叫び声、偉大な立ち姿は描けないだろう。
事は叙事のありようにかかわっている。
地獄の様相を、即物的に、投げ捨てるように描くというのなら、ハードボイルドの定型だが、映画はまだ、じつはそこ迄行っていないのかも知れない。
今こそ映画のフレームを、慈愛あふるる神にではなく、悪魔の手に委ねなければならない。