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2016-08-26

Quotation #29 / 絵画は言語活動か

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ロラン・バルト『美術論集 アルチンボルドからポップ・アートまで』(沢崎浩平訳、みすず書房、1986)より引用
Text quoted from “L’OBVIE ET L’OBTUS(SELECTION DE TEXTES)” by Roland Barthes

言語学が今日見られるような拡大発展を遂げて以来、本文の筆者が記号学への関心を示すようになって以来(もう十二年も前のことだが)、何度この質問を受けたことだろう。絵画は言語活動(ランガージュ)ですか。しかし、今までのところ、何の答えもない。絵画の語彙や一般文法を確立した者はいないし、絵の能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)を仕分けた者もいない。能記や所記の置換や結合の規則を体系的に説明した者もいない。記号の学としての記号学の力は芸術には及んでいない。不幸なことだ。なぜなら、こうした答えを出せない状態は、芸術創造は体系には《還元》され得ないという、古い教養的観念を強化してきたからである。体系は、周知のように、人間と芸術の敵だとみなされているのである。
実をいえば、絵画は言語活動かと問うこと自体、すでに、倫理的質問であり、穏健な答えを求めている。創造する個人(芸術家)の諸権利と人間的普遍性(社会)の諸権利には手を触れない、死んだ答えを求めている。革新者は皆同じだが、ジャン=ルイ・シェフェールは、芸術(その哲学、あるいは、その歴史)に関するごまかしの問題には答えない。それらの問題を、一見、周辺的な問題に置き換える。しかし、その問題がもたらす距離のおかげで、彼は、絵画とその体験記(旅行記というように)が、構造、テクスト、コード、体系、表象化、形象化といった、記号学から受け継いだ語が、すべて、新しい位相によって、《新しい感じ方、新しい考え方》をなすような位相によって配置されるような前代未聞の分野を開くに至るのである。この問題とはおよそ次のようなものである。絵と、絵を読むために——つまり、(暗黙裡には)絵について書くために——どうしても用いざるを得ない言葉との関係はどういう関係か。この関係が絵そのものではないのか。