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2016-09-10

Quotation #31 / 人間行動のコントロール

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ナンシー・ジブス他著『ユナボマー 爆弾魔の狂気』(田村明子訳、KKベストセラーズ、1996)所収、ユナボマーの声明文「産業社会とその未来」より引用
Text quoted from a manuscript of Unabomber, “INDUSTRIAL SOCIETY AND ITS FUTURE” appreared in “MAd GENIUS: The Odyssey, Pursuit, and Capture of the Unabomber Suspect” by Nancy Gibbs, Richard Lacayo, Lance Morrow, Jill Smolowe, and David Van Biema with the editorial staff TIME Magazine

一四三、文明の始まり以来、組織化された社会というものは、社会機構を機能させるために人間にプレッシャーを与え続けてきた。プレッシャーの種類は、その社会によって大きく異なる。あるプレッシャーは肉体的なもの(飢餓、過度の労働、環境汚染)であり、あるいは心理的なもの(騒音、混雑、社会の要求に沿って行動を鋳型にはめるなど)であった。過去において、人間の特質というのはほとんど不変であり、変化があったとしても一定の範囲内でのことだった。つまり結果として、社会は人々をある限界まで抑圧することしかできなかった。人間の忍耐の限界を越えたとき、反乱、犯罪、堕落、仕事の回避、鬱病などの精神病、死亡率の上昇、出産率の低下などの問題が発生してくる。そのため社会は崩壊していくか、もしくは機能が低下していき、ついにはより効率的な社会形態に(急激であるにせよ緩慢であるにせよ、征服や摩擦や革命を通して)とって代わられるのである。
一四四、このように人間の特質は、過去において社会の発展に限界を与えてきた。人々はある程度まで抑圧されると、限界があった。しかし現代ではそれが変わりつつある。テクノロジーが人間自体を変えつつあるからだ。
一四五、人々をとてつもなく不幸な状況に隷属させておきながら、その不幸を解消するためにドラッグを与えるような社会を想像してほしい。これはSFではない。こうした状況は、すでにわれわれの社会で起こりはじめているのだ。ここ数十年間、鬱病患者が激増しているのは周知の事実だ。これはわれわれが第五九〜七六項で述べているように、パワープロセスの崩壊に起因するものだ。だがたとえわれわれが間違っているにせよ、鬱病の増加は今日の社会に内在するなんらかの制約に起因している。現代社会は人々を鬱病にしている社会的制約を取り除こうとする代わりに、彼らに抗鬱剤を投与する。その結果抗鬱剤は人々の内面を修正して、本来なら耐えられないような制約を受容可能にしているのだ(もちろんわれわれは鬱病が遺伝的なものであることが多いという事実も知っている。ここでは社会的環境が主要な原因となっている場合を述べているのだ)。
一四六、人の心に作用するドラッグは、現代社会が人間行動をコントロールする方法として開発した一例である。ここでは他の方法も検討する。
一四七、まず第一に、監視のテクニックがあげられる。今日では多くの店舗などの場所に、隠しカメラが設置され、個人に関する膨大な情報がコンピュータによって処理されている。こうして得られた情報は、肉体的な抑圧(すなわち法的執行者)の効率を非常に高めるのに役立つ。
それにプロパガンダという方法もあり、この場合マスメディアが効果的な手段を提供する。選挙に勝つため、商品を売るため、世論に影響を与えるため、効果的なテクニックが開発されてきた。娯楽産業は、たとえ膨大な量のセックスと暴力を垂れ流しているときでさえ、体制のために重要な心理操作用具として働いている。娯楽は現代人にとって逃避の手段となっている。テレビやビデオに没頭していれば、人はストレスや悩み、フラルトレーション、不満足などを忘れることができる。未開人の多くは、何もやるべきことがないときに、すっかり満足して数時間座ったままでいる。なぜなら彼らは自分に満足し、周辺は平和であるからだ。ところが現代人は常に何かをやっているか、娯楽に没頭していないと、「退屈」してしまう。つまるところ、そわそわと落ち着かず、苛立ってくるのだ。
一四八、前述したテクニックよりも、もっと深層部に食い込むものもある。教育はもはや、言いつけを破った子供のお尻を叩いたり、あるいは守ったときに頭を撫でてやるといった程度のものではなくなっている。それは子供の成長をコントロールするための、化学的なテクニックになりつつある。例をあげると、シルバン・ラーニング・センターでは子供の勉強に動機づけをすることが大きな成果をあげている。多くの普通の学校においても、多かれ少なかれ心理的なテクニックは使用されている。“ペアレンティング”というテクニックが親に教えられているが、これは子供にシステムの基本的な価値を受け入れさせ、システムが望ましいと思う行動をとらせるためのものだ。「精神衛生」プログラム、「調整」技術、精神療法などは、表面上個人に恩恵をもたらすために組まれているように見える。しかし実際には個人がシステムの要求するように行動するように仕向ける方法なのだ(この理論には矛盾がない。システムは、個人が立ち向かうにはあまりにも巨大であり、逃げることさえままならない。ゆえに個人は敗北し、ストレスやフラストレーションに苦しめられる。こうした意味合いにおいて、システムは個人を洗脳して快適な状態に導くという恩恵をもたらすのだ)。通常の場合、幼児虐待は許されない。些細な理由、あるいは理由もなしに子供をいたぶることに、正常な人間は悪寒を覚える。しかし多くの心理学者は虐待の観念を極端に拡大して解釈する。平手打ちをシステムの規律を教え込むために合法的な方法として使う場合、それは虐待といえるのか。その答えは、究極的には平手打ちを受けた人間が現システムに沿った行動をとるかどうかにより、決定されるだろう。実際のところ、「虐待」という言葉はシステムに不都合な行動をとるような子供を自ら生み出す教育方法と解釈される傾向にある。ゆえに、「幼児虐待」を防止するためのプログラムとは、体制がコントロールできるような方向に人間を仕向けるものなのだ。