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2016-11-19

Quotation #40 / 権利としての死刑執行

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読売新聞水戸支局取材班 著『死刑のための殺人 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録』(新潮社、2014)より引用

死への恐怖。それを前提に死刑制度は成り立っている。しかし、死刑によって死ぬのを望む金川にそれは通用しない。それは刑罰ではなく、むしろ死にたい、という願望を満たす道具になってしまうのだ。

1976年、米国で金川と同じように死刑を望んだ男がいた。
ユタ州で通り魔的に2人の男性を殺害した、ゲイリー・ギルモア。当時の米国は死刑廃止の世論が強く、10年近く死刑が執行されていなかった。そのため、死刑判決は事実上、終身刑を意味していた。
しかし、ギルモアは「死ぬ権利」を求め、判決通り死刑が執行されることを望んだ。もし執行されれば、米国の死刑復活の第1号となる。
「国家が1人の人間の自殺願望をほう助するべきではない」
死刑の復活を阻止しようとする反対派に対し、「死刑執行は権利だ」と訴えるギルモア。死刑を望む男の登場は米国、そして世界をも揺るがし、大きな波紋を呼ぶ。そして翌77年、ギルモアの望み通り、死刑は執行されるのだった。
そのギルモアの実弟が家族の視点で事件を描いていた。『心臓を貫かれて』(マイケル・ギルモア著、村上春樹訳)には、こんな一節が出てくる。
「あいつは自分を殺させることで、体制(システム)をやっつける完璧な方法を見つけだしたわけさ。さっぱりとここから出ていける。それでおしまいだ。そんな勝ち方を選ぶ人間は世間にはあまりいないだろう」
死刑で死にたい男の死刑を執行するということ。それは、「国家の死刑制度を逆利用した男」という称号を与え、ギルモアのように、金川を「勝たせる」ことを意味していた。